2015年6月12日 金曜日 放射線管理員の道

 藤川工業の藤川さんといわき市内で待ち合わせをして、上位会社(2次請け会社)の事務所に行き、午前11時ごろにそこの社長と面接をした。

 社長は細身で、しゃれたシャツ、上等そうなズボン、凝ったバックルのベルトを身に着けていた。おそらく30代前半だろう。「建設業以外にも便利屋とファッションのインポートをしている」と言っていた。

「仕事についてはあまり求めないので、ちゃんと遅刻しないで出てきて、あとは読み書きできればいい。あっちの監督もそう言っている」
こんなことを言うのは、人夫出しの会社だからだろう。そんな会社なので面接は問題なく終わった。

 午後2時からは東北テクノの面接を受ける。この会社は作業員ではなく、放射線管理員(以下、放管)を求めていた。放管の経験はないが、給料も藤川工業よりいいし、作業員よりも放管の方が面白そうだと思ったので、応募していたのだ。

 社長の須藤さんは中背で太っている男だ。おそらく40代後半だろう。給料は最初の1か月が9,000円。2か月目から10,000円。第2種放射線取扱主任者試験に受かれば12,000円。危険手当は9,000から10,000円だと説明された。

「放管として覚えるには半年から1年くらい従事する必要がある。方法は事故が起きた1Fでいきなり働くか、志賀原発でゆったりと覚えながらやるか、どちらかだ。1Fだといきなりアルプス(多核種除去設備)とかで作業させられて大変だけど、能登(志賀原発)だと1人で出来るとこを2人で出来る余裕がある」
1Fか志賀原発のどちらかになりそうだが、1Fで働ける確率は2、3割りだとも言っていた。出来たら1Fで働きたいが、どうなるだろうか。

 面接が進むと、須藤さんから採用したいと言われた。「放管で一番大事なのはちゃんと話したり、説明することだ」と言っていたので、その能力がありそうだと思われたのかもしれない。

 面接が終わって家に帰り、どちらで働くかを考えた。志賀原発で働くことになるかもしれないが、放管の方が面白そうだし、給料がいいので東北テクノで働くことに決めた。

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